長坂 男が引き立てられてきた。 青と白を基調にした華麗な戦闘服や鎧もずたずたに裂け、わき腹からは止まりきらない血が、なおじくじくと滲み出している。 その槍にかけた人間の血脂や臓物にまみれた黒髪は逆立ち、すさまじい悪臭を放っていた。 かろうじて顔だけはぞんざいに拭かれたらしいが、ぬぐいきれない血糊がその端正な顔に醜い縞模様を描いている。 まさに地獄の悪鬼のごとき様相だが、その眼差しの静けさが曹操の胸を打つ。 これまで数え切れないほどの男達が囚われて曹操の前に跪いてきた。 醜悪に泣き喚き、這いつくばって命乞いをした者もいる。 稀に死を覚悟し、曹操を罵倒して死んでいった豪傑もいた。 しかしこの男、流れる水の如く、野を吹く風の如く、どこまでも自然体で、ただ低い位置から曹操を静かに見据えているだけであった。 「貴様が趙雲か。」 ようよう声を絞り出し、見とれた自分に心の中で苦笑する。 「いかにも。」 毅然と答える声もまた、気負いも恐れもなく、低く柔らかい。 「ずいぶんと我が軍の兵士を殺してくれたな。」 声に笑みがにじんでしまうのを、どうしても抑えることができない。 「猛き国の運命(さだめ)にてー」 揺るぎのない明快な答えが返ってくる。 静かな瞳に気圧されながら、曹操は先ほどの地獄絵図を思い出していた。 時は建安13年、曹操軍に追われた劉備は、樊城を出て当陽県の長坂まで逃げた。 世に言う「長坂の戦い」である。 追いつめられた劉備の家族は散り散りになってしまい、息子阿斗はその母糜夫人と共に敵軍の中に取り残された。 阿斗を探して単身曹操軍の中に踊り込んだのが、「常山の趙子龍」と呼ばれたこの男、趙雲であった。 そして見つけた阿斗を懐に、趙雲は勇猛果敢に戦い、100万とも言われた軍勢の中を駆け抜けたが、味方の元に辿り着く直前に力尽きてしまったのだ。 趙雲のあまりの奮闘振りにその命を惜しみ、攻撃を中止させた曹操が使者を飛ばした。 「もし貴様が魏に降るなら、阿斗の命は助けた上に、劉備の元まで送ってやろう。」 「魏に降りはせぬ、しかし阿斗様を助けてくれるならこの命、魏にくれてやろう。」 それが趙雲の答えだった。 そして今、死を前にした趙雲が曹操の目の前にいる。 鬼神の如き槍さばきで大勢の人間を殺して殺して殺し抜いたあの光景、そして今静かに佇むその姿。 「この男、欲しい!」 痛烈に思った。 劉備に向けた命がけの忠節を、この曹操に向けてはくれないだろうか・・・。 「どうだ、趙雲。 このわしのためにその槍振るってみる気はないか。 貴様の命、助けてやるぞ。」 軽い揶揄を含んだ声音にも趙雲の表情は変わらない。 「我が主君は生涯かけて劉備殿のみ。」 「何をこしゃくな!」 曹操のそばに控えていた夏侯惇が刀に手をかけ、身を乗り出したが、曹操は目で止めた。 「ほう、ならば好きにしろ。 だが、貴様がここに囚われていれば、貴様は劉備の枷となる。 貴様がここにいる限り、劉備は攻めては来れまい。 貴様の忠義が劉備の足をすくうのだ。 『仁』を名乗るは苦しきものよ。 貴様を見捨てて戦い挑めば非道と言われ、貴様のために躊躇すれば国を失う。」 哄笑した曹操は、自分を見上げる趙雲の眼に深い哀れみを見た。 「なんだその目は・・・、何が言いたい。」 「曹操殿はわかっておられぬ。 我が殿は仁の人、だからこそ漢の再興のために命をかけて戦ってこられた。 ここで私一人の命と漢の民全ての命、どちらを選ぶとなれば、答えは自ずと明らかになろう。 いつの日か、我が命のために熱い涙を流していただければそれで本望。」 「ならば死ね! 劉備の枷とならぬよう、ここで見事に死んでみせよ!」 曹操は護衛に持たせていた趙雲愛用の槍を、力任せに投げつけた。 槍は微動だにしない趙雲の肩を抉り、新たに血が噴き出す。 「殿!」 あまりの無謀に周りの武将が色めきたった。 手負いとはいえ、槍にかけては並ぶ者なしと言われた趙雲に槍を渡すとは危険が過ぎる。 だが趙雲は床に落ちた槍を拾い上げ、跪く己の前に静かに置いた。 愛しむかのように、指で柄の真中辺りをそっと撫ぜる。 そして再び曹操を見上げた。 「自ら死を選ぶことはせぬ。 殺したくば殺すが良かろう、恨みはせぬ。」 曹操を守ろうと、その前に立ちはだかっていた夏侯惇が困惑し、振り向いて曹操の顔に笑みを見た。 「孟徳・・・?」 「元譲 、こやつを解き放て。」 「な、なんだと?」 夏侯惇ばかりかその場にいた全ての者達が耳を疑った。 「気に入った、この男。 我が配下に置けぬのは残念だが、ここで殺すにはあまりに惜しい。 いずれ戦場でその首上げて見せようぞ。」 混乱の中、動じぬ男はただ二人、曹操そして趙雲自身。 特に喜ぶ風情も見せず、ゆったりと立ち上がった。 槍を手に、曹操に向けて深々と一礼をする。 「趙雲、貴様の命を助けたことへの礼はなんだ。」 愉快そうに曹操が問う。 「いずれ相対した時に、全身全霊で戦い抜き、魏を倒す、ただそれのみ。」 もはや怒ることも忘れ、呆気に取られる夏侯惇達にも丁寧に一礼すると趙雲は踵を返した。 「待て、その傷では劉備の元に行くのも容易ではあるまい。 誰か馬を出してやれ。」 曹操の言葉に再び振り向き頭を下げる。 「趙雲、最後にもうひとつ聞きたい。 もし貴様が劉備の前にわしと会っていたら、貴様はわしを主君と認め、忠誠を誓っていただろうか。」 いえ、とはっきり首を振る趙雲に目をむく。 「曹操殿は我が生涯をかけて戦い、倒したいと願う唯一のお方。 相容れることはできぬ。 しかし、我が主君を想う心を持って倒さんとす。 想いの深さは我が主と変わるところはない。」 「最高の賛辞だ、ありがたく受け取っておこうぞ。」 それにしても惜しい・・・。 名残惜しくも見送る曹操に夏侯惇が食ってかかる。 「1人で100人の働きをする者を、みすみす逃してどうするつもりだ。 貴様は気でも狂ったのか!」 「趙雲如きを恐れて天下覇道の道は開けん。 強い敵こそ倒しがいがあるというものよ。 貴様にそれがわからぬとはな、失望したぞ、元譲」 真っ赤になった夏侯惇の肩を軽く叩く。 「わしにはおまえがいる。 1人で1000人の働きをする元譲、おまえがな。」 そうだ、 曹操は心に呟いた。 魏の歴史を綴る書に、趙雲のことを書いてやろう。 長坂の戦いにて、怯むことなくただ一騎100万の大軍の中を駆け抜け、阿斗を救った英雄として。 最後の一節はこうだ、「子龍は全身これ胆なり。」 --------------------------------------------------------------------- とむくすさんへ♪ もらっていただけるなんて嬉しいです! ありがとうございます。 ではちょっと解説をば(^_^) えっとこの話は、長坂「難しい」で遊んでて、阿斗を見つけた趙雲が、馬から落とされてボコボコにされた時、思いつきました。 史実は100万もいなかったそうですが、それでも大軍の中、もし捕まっていたら、もし趙雲の男気に感銘を受けた曹操が、趙雲を逃がして、しかも「捕まらなかった」ことにしてたとしたら・・・。 曹操ってそういう茶目っ気?のありそうなイメージでした。 普通なら阿斗を捉える方が大事でしょうが、「あんな赤子、これから捕らえるチャンスはいくらでもあるわい。 それより趙雲と語ってみたい。」とほくそえむ曹操・・・?(笑) それから最初は、趙雲縛られていたんですが、後ろの方の、槍を拾って撫ぜるところ、その前に曹操が「自分で死ね」と、はらりと縄を解き放つ部分、書きたかったんですが、間延びしちゃって書けませんでした。 だから趙雲は最初から普通に歩いてここ来たわけで、考えられない!って突っ込まないでくださいね? もちろん「子龍は全身これ胆なり。」って言葉は、劉備だったと思うんですが、ぜひ使いたくて無理やり曹操語録に入れちゃいました。 ただ、ゲームでは、人は汚れず、血も出ず、死体は消え、キャラはあくまで清らかに勝利しますが、本当は汚いものだと思うんです。 人に手をかけ、その血を浴びる。 かっこいいものでもないし、きれい事でもない世界だと思います。 それだけは表現したかったです。 ゲームキャラとしての趙雲が大好きですが、あえて徹底的に汚しました。 でも汚れていないものもある、趙雲の、曹操の内面、そんな部分が表現できてたらいいなと思います。 差し上げるにあたって大幅に修正しましたが、「ここはおかしい。」と思うようなところがありましたら教えてくださいね。 小野坂さん、岸野さん(曹操)、中井さん(夏候惇)のお声をイメージしていただけたら嬉しいです♪ |